誰もが生きていて、一度は疑問に思うこと。

「自分は何のために生きているんだろう」

親も、学校も教えてはくれません。

 

何のために生きているのかが分からなければ、どう生きればいいのかも分かりません。

人は全ての行動に意味を求めるものです。

意味があるから行動するのです。

 

例えば、なぜ歯磨きをするのか。

歯を磨かなければ虫歯になるからですよね。

 

意味がわからずやっていることなどほぼないはずです。

 

でも、「生きる意味」は分からないのです。

「1+1=2」のように明確な答えがあるならば教えてほしい。

 

考えて考えて出た結論。

「答えはない」です。

 

この結論の意味と、これをふまえてどう生きていくのかを私なりにお伝えします。

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「答えはない」=「自分で決めていい」

上に伸びた矢印

何のため生きるのかという疑問に対して、様々な人が様々なことを言っています。

  • 生きる意味はない
  • 修行のため
  • この世に貢献するため
  • 幸せになるため

などです。

 

人によって答えが違う。

じゃあ、どれが正解なのか。

 

「全部正解」であり「不正解」です。

 

どういうことかというと、

「答えは人それぞれ」=「明確な答えはない」=「自分で決めていい」

ということです。

 

何のために生きるかは、自分で自由に決めていいし、決めなくてもいい。

ただ、目的を決めたほうが道筋がはっきりするので、私は決めて生きたいと思いました。

なぜ「何のために生きるのか」という疑問がわくのか。

ここで一旦考えたいことは、なぜ「何のために生きるのか」という疑問がわくのかということです。

 

「何のために生きるのか」という疑問がわくということは、「何かのために生きたい」と思っているということです。

何かのために生きたいとは、「何かの役に立ちたい」「何かの役に立っているという実感がほしい」ということではないでしょうか。

 

人は何かの役に立っていると思うことで、自分の存在価値を感じることができます。

自分は何の役にも立っていないのではないか、必要とされていないのではないかと思うと、自分の存在価値が感じられなくなり、生きることが虚しくなります。

 

何かの役に立つためには、人の役に立つこと、喜んでもらえることをすることです。

大きいことをする必要はありません。

日常の中でほんの少し人が喜びそうなことをしてみましょう。

  • 人を褒める
  • 困っている同僚に声をかける
  • ちょっとした贈り物をする
  • 美味しかったお店を教えてあげる

何でもいいいです。

人から言ってももらえた「ありがとう」や「おかげで助かったよ」という言葉で、自分の存在価値を感じることができます。

生きることに虚しさを感じているのなら、誰かの役に立つことが一番の解決策だと思います。

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自分の幸せのために生きる。

四葉のクローバーを持った手

何のために生きるのかに答えはない。

答えがないということは自分で決めていい。

 

それなら私は、「自分の幸せのために生きる」ことにしました。

これは決して、自分が幸せなら他人はどうでもいいということではありません。

 

人を幸せにするには、まず自分が幸せであることが大事だからです。

 

自分が不幸なのに、人を幸せにしたいなんて思えますか?

 

私はずっと自分を大切にしていませんでした。

自分より他人を優先し、自己犠牲をすることで人のためになっていると思っていたのです。

でも、こんなに自分を犠牲にしてあげたのにという思いがどうしてもわいてきてしまいます。

もっと私に感謝してよとイライラしていました。

 

自分をほったらかして人を大切にすることなんで出来ないと実感しました。

 

順番を間違えていたんですね。

まず自分が幸せになる。そしてその幸せのおすそわけをすればよかったんです。

 

私は自分の幸せのために生きて、周りの人にたくさんおすそ分けをすることが生きる目的です。

これはずっと変わることはないと思います。

 

あなたは何のために生きますか?

あなたの答えを見つけてみてください。

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